関東レジン工業株式会社は透明樹脂タイル剥落防水工法「JKセライダー工法」等で建物をいつまでも美しく守ります。 関東レジン工業株式会社

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設立50周年に寄せてMessage

建築技術の大部分は
専門工事業者に支えられている

  • (一社)建築研究振興協会会長
    芝浦工業大学名誉教授本橋 健司

関東レジン工業㈱が設立50周年を迎えられましたことを心よりお慶び申し上げます。 野村透一会長(以下、野村会長)と私は、日本樹脂施工協同組合の活動および有志の勉強会(イノベーション研究会)を通じて30年以上のお付き合いがあります。 また、野村太一郎社長(野村社長)、野村ふみえ様とは日本樹脂施工協同組合の親睦ゴルフを通じて知り合いになりました。
日本樹脂施工協同組合(「樹脂協」)は、樹脂接着剤注入施工技能検定、連続繊維施工士・管理士、国土交通省監修「建築改修工事監理指針」、建築研究所との共同研究および組合独自のブランド工法等を通じて、建築物の補修・改修・補強工事を技術的に支えています。 野村会長は「樹脂協」の前身である日本樹脂施工協会の発足時から活動に参画し、樹脂接着剤注入施工の技能検定をはじめとして「樹脂協」の活動に積極的に参加し、平成23年から平成29年までは「樹脂協」の理事長を務められました。 野村会長が「樹脂協」理事長の時代に、樹脂接着剤注入施工技能検定を単一等級から1級および2級とするという「樹脂協」の長年の夢を実現させたことは喜ばしいことです。
また、野村会長は平成22年に「タイルの補修・改修に関する新工法の開発に対する貢献」により日本建築仕上学会賞・技能賞を授与されています。 野村会長は日本建築仕上学会機関誌であるFINEX に受賞の言葉を寄せています。この寄稿文は野村会長の人柄および「樹脂協」によせる思いがよく表れていると思います。本誌で参照できるように編集の方にお願いしておきます。
私は、建築研究所、芝浦工業大学、建築研究振興協会において、建築物の耐久性や保全技術の研究をしており、「樹脂協」の野村会長と知り合いました。 野村会長が、建築研究所のヒアリング委員会の席上で、JK セライダー工法の剥落安全性を説明するためにタイル張り改修モデル試験体をハンマーで叩いて説明する様子を鮮明に覚えています。 建築研究所(つくば市)で実施したタイル張り外壁の改修施工実験の際にもファイバースコープを持ち込んで積極的に協力いただきました。
「樹脂協」の活動以外でも、平成4年から開始したイノベーション研究会という勉強会において、野村会長と私は、30年間にわたって一緒に勉強しています。 勉強会は年に10回開催されます。勉強会のメンバーは、専門工事業の方々であり、建築仕上げ、補修・改修工事、建築行政等について話題提供を行ったうえで、皆で意見交換します。 そのあと、一杯飲むことにしています。野村会長は、多忙なスケジュールの中で毎回熱心に出席しています。
前述のように、私は昭和56年に建築研究所に入所して以来、建築物の耐久性や保全技術の研究をしてきました。その経験をもとに考えるのですが、新しい建築技術を社会に実装することは容易ではありません。 建築では、材料製造者、専門工事業者、建設業者、設計者、発注者等の関係を踏まえた上で、新しい技術の社会実装を図ることが重要です。 この点は、工場の製造ラインで殆ど完結してしまう「先端技術」とは異なる特徴です。新しい建築技術を建築生産に組み込み定着させる過程は複雑であり、スマートではないと思います。特に、補修・改修技術は複雑です。 しかし、建築技術、補修・改修技術には可能性があると確信しています。そして、重要なことですが、建築技術の大部分は専門工事業者によって支えられていると考えています。補修・改修工事にあっては特にそうです。 この考えは、恩師の今泉勝吉先生(工学院大学名誉教授)から受け継いだものです。
野村会長は樹脂接着剤注入施工の黎明期から外壁改修工事等に携わってきました。関東レジンは専門工事業者としての経験・技術を50年間分蓄積しているのです。その蓄積の中には、新しい建築技術、補修・改修技術を発展させるためのヒントがたくさん詰まっています。 関東レジンに50年間蓄積された経験・技術は、野村会長から野村社長および関東レジンの社員の皆様に継承されています。 すでに野村社長はその蓄積を継承し、自らの経験・技術を加味して、次世代の関東レジンを発展させている真っ最中だと思います。 関東レジン工業株式会社が、次の50年を目指して、より一層発展することを願って、御祝いの言葉とします。

安心して任せられる大切なパートナー

  • 大成建設株式会社
    常務執行役員
    リニューアル本部本部長植松 徹

関東レジン工業株式会社様が創業50周年を迎えられましたことを心よりお慶び申し上げます。 私と関東レジン工業様との出会いは、2001年の日本財団ビル(旧NCR ビル)改修工事に遡ります。 日本財団ビルは、住宅設計を得意とした吉村順三が1962年に初めて手掛けたオフィスビルで、1964年には、BCS 賞(建築業協会賞)を受賞、 2003年にはCOCOMOMO JAPANより「日本におけるモダニズムムーブメントの建築」に選定されるなど、吉村順三の代表作です。新築時の施工は、竹中工務店でした。 日本財団が、2000年にNCRビルを買取り、自社の本部事務所機能を持たせたビルに衣替えすべく、当社が改修工事を施工することとなりました。改修工事を始めるに当り、 内装を撤去した際、以前の改修工事の際の躯体の欠損や、経年劣化によるクラックなどが発覚しました。この時、躯体の補修を依頼したことが、 関東レジン工業様とのお付き合いの始まりです。始めてお付き合いする専門工事業者さんでしたので、安全管理、品質管理において、どれ位のレベルか心配していましたが、 施工状況を見ていると、職長を始めとして作業員の皆さんが、テキパキと作業を行い、補修記録まで、丁寧にまとめてあり、感服したことが思い返されます。 その後、私が作業所長に就任した八王子の南大沢にあるベルコリーヌ南大沢大規模修繕工事において、外壁等の躯体補修工事をお願いしました。 この時は、既に信頼できる専門工事業者さんであることはわかっていましたので、安心して工事を任すことができました。 その後、私が東京支店建築第3部に移動となった後は、建築第3部の基幹業者の一社として、東京都管内における当社のリニューアル工事の様々な主たる工事を依頼することとなりました。 更に、建築第5部部長の時は、茨城県における外壁補修工事もお願いし、無事工事を完成させていただきました。 今も当社との関係は続いており、当社の大切なパートナー企業として、主要専門工事業者で組織している倉友会会員として、当社においてなくてはならない存在です。
企業が、10年以上存続することは、起業してから1割程度であると言われている中で、半世紀も存続する企業となられていることに対して改めて敬意を表す次第です。 半世紀にも渡り、存続する企業に成長されるに至ったことは、ひとえに、野村 透一会長を始め、野村 太一郎社長、また、従業員の皆さん、作業員の皆さんの弛まない努力の賜物です。
我々、建設業を取り巻く環境は、コロナ禍や、ウクライナ情勢、物価高騰等、厳しさを増す環境になっていますが、今後も、当社の良きパートナーとして、 また、当社も関東レジン工業様の良きパートナーとして、この困難な時代を、お互い手を取り合いレジリエンスな企業として、ウインウインな関係を深め、乗り切っていけることを切望しております。
最後に、関東レジン工業様及び、関係者の皆様の、益々のご発展とご健勝を祈念いたしまして、ご挨拶とさせていただきます。

誠実さをもって事業活動に取り組む姿勢

  • 積水ハウス不動産東京株式会社
    前社長島貫 利一

関東レジン工業株式会社様が創業50周年を迎えられたことに心よりお祝いを申し上げます。創業者の野村透一会長のもと、社員の皆様の長きにわたるご研鑽とご努力の賜物とお慶び申し上げます。
野村透一会長は日本樹脂施工協同組合の要職を歴任され、施工技術の開発並びに施工品質の向上にご尽力され、樹脂協の地位向上と樹脂施工業界の発展に大きく貢献されました。 関東レジン工業様の50年に及ぶ成長発展の歴史と、樹脂施工業界を牽引するリーダー企業としての功績に衷心より敬意を表します。2013年に新社長として野村太一郎社長が就任され、今後益々の成長発展が期待されます。
野村社長は私が積水ハウス㈱の秋田営業所に勤務していた時代の部下でした。誌面をお借りして少々野村さんのエピソードをご紹介いたします。 既に20年以上も前になりますが、私が新任所長で秋田営業所に赴任し、その時に初めてお会いした野村さんは入社したばかりの若い営業マンでした。 当時の積水ハウス秋田営業所は営業20名程度、所員40~50名程度の社内でも小さな黎明期の事業所であり、ハラスメントという言葉もまだ無い時代で今ならブラックな会社という事になりそうです。 当時の営業はKKD(感と経験と度胸)でするものと言われていて、これではだめだと漸く住宅業界にもマーケティングやマネジメントの考え方が出始めたころです。 このように、特に若い社員にとっては厳しい職域環境にあって、野村さんは他の若い営業とは一味違う存在でした。 どの様な場面でも、芯が強くへこたれない。無茶な要求を繰り出す上司に対しても怯まず、是々非々を通す。 昨今の若者らしからぬ強いインティグリティと胆力を備えていました。それでいて素直で、長幼の序を良くわきまえて、年長のお客様や取引先からは良く可愛がられて、私自身も野村さんに学ぶことが多かったと思います。 結果として野村さんの業績は全社でも屈指の結果となり、その顔写真が全国版の社内報の表紙を飾ることもありました。 当時の私は駆け出しの職責として得難い部下を持つことになりましたが、併せて野村さんの卓越した資質はご家庭の教育によるものなのか、明治大学のゴルフ部主将時代に培われたものなのか、等々と非常に気になったことを覚えています。
経営のリーダーやマネジメントが持つべき唯一の資質はインティグリティと言われます。 また、この資質は後天的に獲得する事が出来ない個人由来のものとも言われます。野村家の家系に脈々と流れるDNAなのかもしれません。 野村さんは、当時から若くして経営者としての資質を備えていたと言えます。 野村さんとは、3年ほど前に私が東京に赴任した時、約20年ぶりにお会いすることができました。 積水ハウスを退職され社長のポストを受け継がれて相応の風格を備えられていましたが、当時の印象そのままの好青年でもあり嬉しく思いました。 創業50周年を迎え、野村社長の今後の20年が楽しみです。 社会と価値観の変化を捉え、弛まぬ技術革新により、野村社長が経営者として一層飛躍されることをご期待申し上げます。
今後益々のご発展を遂げられますようご祈念申し上げて、お祝いの寄稿とさせていただきます。

「お得意様第一号」との5 0 年

  • 監査役
    吉川税理士事務所 代表取締役吉川 二郎

設立50周年、誠におめでとうございます。
50年前といえば野村会長は学生、私もまだ税理士資格を持っておりませんでした。 当時私は会計事務所に勤めておりましたが、そこで得意先として担当していた防水会社の下請をしていた職人4名から会社の設立を依頼されました。 そして、その4名のうちの1人が野村会長だったのです。昭和47年11月、彼らと共に関東レジン工業株式会社を設立し、御社は私にとって「お得意様第一号」となり、野村会長とはその時から50年以上に渡るお付き合いが始まることになりました。 今でこそ樹脂防水工事で有力工事会社である関東レジン工業㈱も、始まりは資本金100 万円の小さな会社でした。 そして今日に至るまでには、大変な苦労がありました。 まず、設立後数年で得意先である大成建設株式会社の一次下請けであるFレジンが倒産し、野村会長は20代前半という若さで多額の負債を背負うことになります。 資金繰りに苦しみ、倒産の危機さえ感じる程でした。 そして追い打ちをかけるように、共に会社を設立した他の3名が会社を去ってしまったのです。 しかし責任感が強く男気のある野村会長は、決して苦難に負けることなく、苦境の中でも現場を切り盛りして若い職人を育てました。
今思い返しても、23、24歳時の若い社長としては、辛い大変苦労な時期だったと思いますが、乗り越えることができたのは、奥様の支えも大きかったのではないでしょうか。 当時から働き続ける現役の職人、山口元さんから伺ったことがあります。「奥さんが夜食を作り、風呂まで沸かしてくれた。だから自分たちも辞めなかった」 と。 その後も努力を重ね、「苦有れば楽あり」で次第に苦労が実を結び始めます。
大成建設㈱の一次下請けとなり、順調に工事を受注して売り上げを伸ばしました。 昭和54年には下北沢のアパートから方南町へ事務所を移転し、平成3年12月には杉並区和田に自社ビルを建築できるまでに成長します。 仕事でもエジプトの日本大使館の補修工事を依頼され、現地の職人を指導しながら完了させるなど、得意先の信頼を得ております。
会社が軌道に乗ってからは福利厚生にも一層力を入れ、社員旅行は国内だけに止まらずハワイ、グアム、オーストラリアと毎回豪華な内容です。 有難いことに私も連れて行って頂き、私個人にも御社との楽しい思い出を沢山作らせていただきました。 しかしながら野村会長は、「昔気質の頑固おやじ」な一面もあり、工事は技術が大事と現社長である野村太一郎氏が入社すると、すぐに北陸にある同業者の下で丁稚奉公をさせ、仕事を覚えさせました。 しかし彼もまた厳しい環境の中で自己研鎖し、確かな技術を身に付け、 今では立派に会長の跡を継がれており頼もしい限りです。 また会社の成長だけに止まらず、この間、多くの仲間から厚い人望を築いてきた野村会長は日本樹脂施工協同組合の発展にも力を注ぎ、理事長という要職を歴任し、業界にも多大な貢献をされたことは皆様ご存知の通りです。 2020年2月には、杉並区高井戸に広くなった社屋を新設し、事業拡大、従業員増員の準備も整いました。
これからの時代は、耐震、風水被害、外壁の補修等々、今まで以上に多方面から樹脂防水工事が必要とされるはずです。 今後も太一郎社長を筆頭に、独自の技術を生かし、関東レジン工業株式会社が得意先に頼りにされる工事業者として60年、70年、100年と発展され続けることをお祈り申し上げてお祝いの言葉とさせて頂きます。 (令和4年11月吉日)

樹脂注入工事の「一丁目一番地」

  • 日本樹脂施工協同組合理事長
    渡部防水㈱代表取締役渡部 秀晴

常識をこえて
これは「(仮称)直張タイル用注入口付アンカーピンニング全面エポキシ樹脂注入タイル固定工法」の注入グリッド図です。 この工法は樹脂協にとっても、樹脂(注入)工事業界にとってもエポックメイキングな工法でありました。
この工法は、平成21年(2009)関東レジン工業㈱野村透一会長(当時社長)によって立案され、東京郊外の大規模外壁改修工事に実施された革新的なものでした。 現場は総戸数80所帯、築8年、外壁タイル面積約3,600㎡(直張工法)の集合住宅でした。劣化タイルは390㎡(約78,000枚 事前調査時)仮設ゴンドラ作業、全面樹脂注入工事でした。
この仕様は国の改修工事標準仕様書等を踏まえた上で、その既定概念を飛び越えた革新的な仕様でありました。 近年の外壁タイル仕上げにおいて、工期・工程の短縮化のために、下地モルタルの無い直張工法が多く施工されてきました。 しかし、その工法によるタイルが様々な要因で、新築後数年でタイル陶片部分が剥離し、剥落する危険な状態になり、大きな問題になっていました。 直張・タイル陶片の浮き部分は浅く、脆く、多岐に渡り、今までの樹脂注入工法の技術だけでは通用しませんでした。 その当時、陶片浮き・直張タイルの浮き自体がまだ広く認知されていませんでした。改修標仕等には、数センチのタイル下地モルタル層がある事が前提で補修仕様、フローチャートが作られていました。 また小口タイル以上が補修対象でモザイクタイルに分類される50二丁タイルなど小さなものはタイル固定工法の対象外でした。
いつの時代にも官と民の間には時間差と温度差があります。もし、この現場を改修標仕等にならうならば、剥落する恐れがあるタイルとして浮きタイル全数が斫、撤去張替えとなってしまいます。 あるいは改修標仕の規定外の50二丁タイルですが、陶片浮きタイルとして、78,000枚全数に1枚/1本の注入口付アンカーピン(φ6㎜*55㎜)を設置することになります。 いずれにしても、全面足場、騒音・振動・粉塵・工期、費用・保証等膨大な問題が山積みになり現実的な解決策にならないと思われました。 また、当時はタイル全面を透明塗膜やピンネットによる剥落防止工法等が検討されましたが、採用するには築年数が浅い上、美観上、資産価値の低下等の観点から採用になりませんでした。

このような難しい問題の解決策として関東レジンが立案したこの新工法が採用されました。
本仕様の特長は
①特殊小径注入口付アンカーピン
特殊小径タイル固定ピンを採用し省力化を図った。標準仕様のピンに比べて2/3程度のサイズなるため、タイルや躯体に負担がかからず、騒音振動も大幅に低減できました。
②無振動ダイヤモンドコアドリル
タイルと目地すべての穿孔箇所に無振動ダイヤモンドコアドリルを使用することで騒音・振動・粉塵を低下させ、同時に注入樹脂充填精度を格段に向上させることができました。通常の振動ドリルに比べて穿孔の形状が真円に近く、水循環吸引方式の為、粉塵が孔内に残らず、正確で効率の良い注入ができました。
③中・低粘度樹脂を研究
直張・陶片浮きは下地モルタル層が無いため、浮き代が少ない為、タイル界面の剥離が多く、接着力も少なく、その浮き代が僅かな状況でした。
そのため高粘度の注入樹脂を使用するとその圧力と体積で浮きタイルがより剥離し、競り上がって、目地破壊を起こしたり、タイルが割れてしまうこともあります。そのために、浮き代の少ない微細な隙間にもスムースに充填できるような、中・低粘度樹脂が必要となりました。そのために様々な材料を実験・研究・開発し、陶片浮き用の新しい製品を開発しました。実際の現場作業の状況は、15階建て外壁のゴンドラ高所作業の為、風の影響で揺れてしまい手元が安定せず、繊細な作業をすることは難しいものでした。ドリル先端をブレないよう固定して正確な穿孔をすることが求められ、この的確な穿孔が注入結果を大きく左右しました。そして注入作業の僅かな加圧・加減の失敗によって、容易に目地・タイル破断を起こしました。
 この失敗によってタイル張替え工事が増大したのですが、その失敗と成功を繰り返していく中で、関東レジンの技術者は試行錯誤を積み重ね、剛腕とフェザータッチが必要な難工事を、創意工夫と忍耐と執念で乗り越えていきました。
 最後の難関は野村社長(現会長)の打診検査でした。野村会長は自分にとって、樹脂協にとって、樹脂注入工事が「一丁目一番地」だというのが口癖な程、思い入れのあるものでした。その当時60歳還暦の野村会長が、自ら仮設ゴンドラに乗り、15階までの注入箇所約80,000枚のほとんどを「敏腕検査官」として打検査し、厳しい判定をくだしていました。剥落防止という人の命を守る工事を請け負った会社の責任者として、万全を尽くす姿がそこにありました。一枚のタイルの2/3以上が接着していることが合格条件であるために、僅かな異音が出るだけで不合格となり、何度も再施工・手直しとなりました。厳しい検査でありましたが、作業員全員が職人魂で取り組み戦い、最後には全箇所合格となりました。腕を上げ、どこに出しても胸を張れる陶片浮き注入のスペシャリストになっていました。私は当時渡部防水工業株式会社として工事に協力(参加)しました。組織のリーダーの理念に突き動かされ、普通はできないことを創意工夫し、切磋琢磨し、乗り越えていく事で技術も人も進歩するのだということをこの現場で学びました。この現場を契機にして、注入口付アンカーピンの仕様が小型化へ向かい、注入樹脂も高粘度から直張用中低粘度が開発され、直張タイル用の改修工法が新たに開発され現在に至ります。それほど外壁タイル改修工法に於いて、大きな意味を持つ仕様書と技術でした。

東京都樹脂接着剤注入施工技能士会のこと
 平成17年(2005)7月技能士会役員会の冒頭「本日は日本樹脂施工協同組合の代表として伺いました。平素から技能士会の皆さんには注入検定などの組合活動に協力していただき誠にありがとうございます。その皆さんからお預かりしていた大切な活動費を当組合が紛失してしまいました。誠に申し訳ない限りでお詫びの言葉もありません。組合を代表して陳謝させていただきます。また、紛失金はできる限り、速やかに返金させていただきます。この度は、ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。」野村透一副理事長は直立不動の姿勢から、役員に対して深々と頭を下げて謝罪の言葉を締めくくりました。日本樹脂施工協同組合のその当時の事務員が不正を働き、技能士会の銀行預金全てを流用し、技能士会は返還請求を提出。その一連の説明責任を果たす為に謝罪に来訪された時の情景です。野村副理事長自身は一点の曇りもない方であり、このような形で深々と頭を下げる事はどれほど無念な事か、同席した私にも痛いほど伝わってきました。技能士会の役員一同は、その心のこもった謝罪に感銘を受けていました。
「あの野村さんにあんな風に頭下げられたら、返す言葉はないですね?」部下の不祥事の責任を取る潔い良い姿とその熱く心のこもった言葉に皆引き込まれました。 リーダーの人柄が会社を作ると言われます。野村透一会長はどんな事柄にも、どのような人達にも、表裏なく、損得関係なく、良いものは良い、悪いものは悪いと正面から全力でぶつかっていく方です。その姿を後ろから見ているとハラハラする事もありました。時には顔を真っ赤にして、激論を交わし、道理の通らないことには、手の付けられない程、怒る時もあるのですが、不思議なことに、誰からも憎まれない、恨まれない、それどころか慕われてしまうのです。野村会長を悪く言う人を聞いたことがありません。敵からも見方からも、信頼され、一目置かれる人徳を備えた、愛すべき人柄であります。
これからも今まで通り、正々堂々とした姿で、いつまでも御意見番として御活躍していただくことを心から願っています。
設立50周年おめでとうございます。