令和4年(2022)11月6日、関東レジン工業株式会社は、歴史ある東京都指定の有形文化財(建造物)であり、多くの重要な美術品で飾られた雅叙園において設立50周年記念の集いを持つことができました。
当初、私達を支えてくださった多くの関係者をお招きし、心を込めたお祝いの会を催す予定で計画を進めてまいりました。
しかし新型コロナウイルスの感染状況は収束に至らず、会場の担当者とぎりぎりまで検討・調整しました。
しかしご招待したい方々のお立場を考え、参加者は自社の関係者に絞るという苦渋の選択に至りました。
当日は、この50年当社を支えてくれた社員や協力会社の人達を主役に、楽しんでもらえる感謝の会となりました。
当社にとって記念すべき集いに、ご招待できなかったことをお詫びするとともに、引き続き当社の技術と志を見守っていただき、ご支援いただきますようお願いいたします。 野村 太一郎
私は厳しくも優しい父と母に育てられました。母の口癖は「感謝」でした。私が当社の社長として取材を受けた専門誌の記事には、「父透一が身ひとつで興した会社…」とありますが、
実際は「身ふたつ」で、母ふみえの支えが不可欠だったはずです。父は社員や職人たちに、時に厳しすぎるところがあり、それを母が陰でサポートしてきました。
彼らの仕事ぶりが認められ、その結果、顧客との新たな信頼関係を作ることができ、業績が良くなってきたと思います。
50年を振り返り、記念誌を制作する中で、母の口癖だった「感謝」という言葉や、父が言葉と行動で示した「安全・品質」の意味を、私自身納得できました。
制作の際、古い資料や写真を整理し、いただいた原稿を読み、お話を聞く中で、50年の歴史の重さを改めて実感した次第です。
これからは私自身、若手を育てながら、この信頼の輪を広げてゆくという役割の大きさに、身の引き締まる思いです。
なおこの記念誌の制作にあたっては、野村透一会長が長年撮りため、かつ分類整理していた大量の写真が大いに役立ちました。
温かい気持のこもった原稿をお寄せいただいた方々、取材に協力していただいた方々、そして細やかな原稿チェックを長期間続けてくれた母・野村ふみえ、
編集コーディネーターとして協力していただいた「ルーフネット」主宰・森田喜晴氏に感謝いたします。 野村 太一郎